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「一般補償基準制定時」の時代背景を振り返ってみる


(社)日本補償コンサルタント協会 近畿支部
幹事・研修副委員長・補償業務副委員長 小林 訓

昨今、企業の法令遵守、説明責任等が問われるなかで、鋼製橋脚の官製談合、耐震強度偽装、悪質リホーム問題など建設産業業界への信頼が揺らぎかねない不幸な出来事等、社会問題も生じています。
 我々「補償コンサルタント」としても、発注者の信頼と期待にこたえるため、なお一層、成果品の精度確保並びに損失補償基準に準拠した算定内容の十分な説明責任を果たしていくことに努めていかなければなりません。

  私人の財産権に対する損失補償基準のもととなっているのは、昭和37年6月29日閣議決定された「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱(一般補償基準と呼ばれています。)」ですが、この要綱の制定背景には、昭和30年代前半におけるわが国の目覚しい経済成長と高度の民間資本成形に比べ、低い水準にあるといわれている社会資本充実のため、公共・公益事業の投資が拡大するというような事情がありました。

 現在公共・公益事業は縮小傾向を続けているが損失補償基準の理解を深めるという意味で、一般補償基準制定時の時代背景を振り返ってみることは、補償基準理解の参考の一助になるのではないでしょうか。
 内容は、月間用地1975年12月の「用地行政の歩み」から引用しました。
 原文については、上記月間用地をご覧ください。

 1.経済の高度成長と地価高騰
 2.長期計画の策定と用地補償費の増加
 3.用地取得の困難化

1.経済の高度成長と地価高騰
(1)経済の高度成長
  戦後におけるわが国経済は、昭和20年代の復興期を経て、昭和30年以降急速な発展段階に入った。
  すなわち、昭和30年には経済自立5ヵ年計画が策定され、経済の自立、完全雇用がその目的とされたが、32年には新長期経済計画が定められ、計画の目的に拡大成長があげられるとともに、実質経済成長率の実績は、計画を大きくうわ回った。
  さらに、昭和35年には、国民所得倍増計画が策定され、拡大成長の目的が達成されるとともに、実質経済成長率の実績は、10パーセントを超えた。これを市場価格表示の国民総支出でみれば、新土地収用法が制定された昭和26年には12兆円であったのが、昭和34年、35年にはそれぞれ23兆円、26兆円と倍増するとともに、対前年度増加率は11.2パーセント、12.5パーセントに達している。
 そして、新長期経済計画における重点政策課題は、産業基盤の強化、重化学工業等であり、国民所得倍増計画においては、社会資本の充実等が重点課題とされたのであった。  
(2)地価の高騰
 経済の高度成長は、土地の需給関係において著しい需要増をもたらした。すなわち、市街地価格指数は、昭和27年頃から急騰しはじめ、昭和36年3月末には半年まえの価格指数に比べ30パーセントときわめて高い上昇率を示した。
 ちなみに、全国市街地価格指数の推移についてみてみれば、昭和30年3月指数100に対して5年後の昭和35年3月は280であり、昭和37年3月は500である(これに対して、同じく日銀卸売物価指数は100.0から101.7に上昇したにすぎない。)。
 このような地価上昇は、一方において用地取得難をもたらすとともに、他方において用地補償費の増大の要因になったといえよう。

2.長期計画の策定と用地補償費の増加
(1)社会資本充実のための長期計画の策定
 経済の高度成長政策の実施のため、各種の社会資本整備のための長期計画が策定されることとなった。
 昭和28年には、道路整備費の財源等に関する臨時措置法が定められたことによりいわゆるガソリン税が特定財源とされるとともに第1次の道路整備5箇年計画(昭和29~33、総額2,600億円)が定められた。
 次いで、昭和33年には、第2次の計画が定められ、その規模は総額1兆円と増大した。
 昭和35年末には、前述した国民所得倍増計画が定められ、道路整備の面では、
   ①道路整備の遅れが経済発展のネックとなっているとの認識が一般化したこと、
   ②昭和39年には東京オリンピックの開催が決まったこと、
   ③国土開発幹線自動車道の予定路線を定める法律が制定され、
 第三次の5箇年計画は事業規模2兆円とされた。
 一方、治水事業の面においては、昭和35年度より、治山治水事業10箇年計画(総額1兆円)が定められ、長期計画がスタートした。
(2)用地取得費の増加
 経済の高度成長に伴う地価の高騰は用地補償費の急増をもたらした。たとえば、建設省所管事業について、事業費中に占める用地補償費の割合は、昭和26年、27年頃までは10パーセント以下であったものが、昭和32年には13.0パーセント、34年度14.5パーセントと増加している。とくに都市計画事業及びダム事業における用地補償費の割合が多かった。

3.用地取得の困難化
(1)事業認定件数の増加
 土地収用法の運用状況についてみてみれば、戦後においてもなお旧法が有効であったが昭和22年から26年の5年間における事業認定件数はわずか121件であったのが、新法が施行された昭和26年以降35年までの9年間には約900件に達し、とくに昭和32年以降の増加速度が著しく、昭和35年度は、260件をこえた。とりわけ、道路事業と電気事業機関の事業認定が増加している。
 これらは、当時、軌道に乗り始めた道路整備5箇年計画や、水・火力発電施設の増強計画がその背景にあったことはいうまでもない。  
(2)用地交渉及び土地収用手続きの長期化
 大規模な事業については、用地交渉を開始してから妥結するまでに通常2年間程度の期間を費やし、しばしば3年以上の年月を費やしたものもあったといわれており、その結果、事業費は繰越額が著しく増加したのであった。
 昭和31年度から5年間における事業認定申請から裁決に至るまでの平均日数は約450日間となっており、この事業期間の長期化が問題とされるようになった。