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私の補償コンサルタントに対する想い ~現在に至るまで

(社)日本補償コンサルタント協会 近畿支部
 幹事 武田 正典

 この度、当協会近畿支部より、ホームページのコラムを寄稿せよとのご下命を受けた。参考に先人の寄稿文を見せて頂くと歴史的、文化的に造形の深い文章を寄稿されている。元来、私は文化的活動にはまったく縁がなく、文学作品と称する小説類はまったく読んだ事がない無粋な人間である。
 学生時分から20代半ばにかけては、月並みに車で走り回る事しか趣味のない人間であり、20代後半からは年甲斐もなく、当時全盛であったウィンドサーフィンにはまり、40才を超えるまで、平均して年間20回~30回は琵琶湖等のゲレンデに出艇していた次第である。
 元来、わたしは文化的な素養はまったくなく、40の半ばを迎え、体力の限界を感じてウィンドサーフィンにこうじるのも夏場から秋口にかけてのみとなり、昔のビーチ仲間の大半がやめてしまったため、現在はそれほど体力を必要としないあらたな趣味を模索している無趣味の人間である。
 また、仕事柄、文章を書く事は多いが元来、文章を書くことが苦手なほうである。
 さて何を書こうか本当に困った。
支部長に相談したところ、「たいそうに考えずにテーマはなんでもいいから自由に書いてください。ただし、本部からはできるだけ補償に関連付けて書くようにと言われています。」とのアドバイスを頂いた。
このアドバイスを頂いて余計に困った。
 困った困ったを連発していても仕方がないので、私の以前の職業から現在の補償コンサルタントという職業に至るまでを雑文的に書いてみる事にする。
 私は学生時分、生産工学を専攻(半ば遊びながらであるが)しており、卒業後、ある自動車メーカー直系の自動車部品製造会社に就職し、生産技術部に所属して、自動車部品の量産ラインの企画・設計をやっていた。
当時の仕事は、単純に言えば、工場長から「ある自動車部品を日産当たり1000個作ることができる量産ラインを3か月で立ち上げろ」等の指令を受け、何が何でも所定の期間で量産ラインを完成させることであった。(当時の私の残業時間は月当たり200時間を超えていた。)
工場長からは「製造コストの中で一番高いのが人件費である。人件費を抑制する事を最大目的として、生産ラインの設計をせよ。」との指示がとんだ。
 当時の量産ラインは現在のようにコンピュータ制御を基本としたメカトロニクスの技術は普及しておらず、機械の作動部分が当たるとオン、オフを行うリレーを組み合わせて自動化を行うシーケンス制御が主流であった。
学生時代には一応、ひととおりのシーケンス回路や油圧回路の組み方を習っていたため、ひたすらシーケンスにのめり込み、できるだけ人手を掛けない自動化ラインの企画に明け暮れた。
 はじめて担当した生産ラインの企画書を提出したときの事である。
工場長が一目、私の設計書を見るなり、「お前の設計したラインは人件費を無視している。」と言われた。
私はできるだけ人件費を削減するため、自動化を行ったつもりであったのが、人手を省くあまり自動化を行ったために、手作業による作業コストを超えるラインを組んでいた。
また、ある時私は11工程を7人の作業者で稼動する製造ラインを企画したところ、たちまち1サイクル当たり3人の作業者の手が15秒間程度、止まっているとの指摘を受けた。つまり、コストを掛けて自動化を行ったばかりに作業者の手の止まる時間が多く、作業の平準化がまったくできていないのだ、1日当たり2勤シフトで1800回転するラインで3人の作業者が15秒間ずつ遊べば、1日当たり81,000秒の人件費が無駄になる事になる。当時の作業者単価は秒当たり90銭で計算していたから、私の企画したラインは1日当たり72,900円、年間当たりでは実に1800万円程度の無駄を発生させる事になっていた。
 当時はこのように一秒単位の人件費の削減に明け暮れていた。
しかし、モノを作っているとの実感はあり、製造業の底辺に位置しながら、我々がオイルショック後の日本の自動車の性能とコストダウンを支えているとのささやかな誇りが持てた職場であった。
 さて、自動車部品の製造工場に3年程度勤め、現在の補償コンサルタント会社に入社したのだが、お恥ずかしい話、入社後1年間はなんのためにこの仕事をしているのか、なにをして利益を得ている会社なのか全く理解できなかった。
 入社当時は前職の関係上、機械設備の算定業務を行っていたのだが、機械の移設費を計算する事がなにになるのだろうとの疑問が常にまとわりつき、起業者の方々からは「この機械設備の移設工数の根拠は」「この工数は高すぎるのではないか」等の指摘をずいぶん受けた。
 当時、私は機械設備の本体費や移設費等は前職当時に付き合いのあった業者に聞く事が多かったし、自分自身、感覚的に機械の移設費は検討がついた。
これらの経験値を生かして算定したつもりが、前記のような起業者からの指摘を受けた。今から思えば、当時の私は起業者の方々に対してアドバイザーとしての資質は到底なく、先生と生徒の立場であったように思える(当然私が生徒である)。当時の私は補償の本質である「公共用地の円滑な取得業務」をまったく理解せず、単なる移設費の計算を職業とした計算屋であったように思える。
 これらの機械設備の算定業務を5~6年程度やって、いきなりある面整備事業にかかる補償業務を担当させられた。
業務受注後、コンサル会議に出席しろとの要請があり、わけも解らず私一人で参加した。コンサル会議には事業に関係する基本コンサルタント、不動産鑑定士、都市計画コンサルタント、商業コンサルタント等の各専門コンサルが集まっており、各コンサルが自身の専門分野において、役所や関係者の方々に堂々と自信を持ってアドバイスしている。この会議中、私は極度に緊張して借りてきた猫同然でなにをしゃべったのか全く覚えていないが、まさしくこの会議でコンサルタントの在り方をみせつけられ、私の補償コンサルタントとしての出発点となった。
 以前はいっぱしの計算屋の気取った気分を引きずって補償業務をやっていたのが、この時点で補償コンサルタントを生涯の職業にしてもいいかなと思い始めた。
 それ以降、現在にいたるまで補償業務を続けているが、私は自分なりに以下の事を補償コンサルタントの本分としている。

問題に対して出来るだけ多数の実行可能なオプションプランを準備できること。
各オプションプランについての利害得失を明解に説明できる事。
いわゆるコンサルタントは大統領特別補佐官であり、プランを決定するのは大統領である起業者である。
コンサルタントはけっして事業者ではなく、決定権のない事を認識して業務に従事する。
常に大統領と同じ目線の問題意識(用地取得の絶対的必要性)を持って、業務に従事する事。
大統領がリスクの大きいプランを選択しようとすれば、再度、利害得失をはっきりと説明し、最善の決定を下せるようにベストを尽くし、必要であればあらたな実行可能なオプションプランを用意する事。

 以上が私のコンサルタントに対する想いであり、社員には嫌がられながらも常にぶつけている事柄である。
 以上、まことにたどたどしく、とりとめのない散発的な文章ではあるが単なる雑文として読み流して頂きたいと思う。