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『女人高野』-慈尊院-

株式会社 谷澤総合鑑定所 南 雅 也
 和歌山県の北東部に位置する高野山は、海抜約1,000メートルの高峰にあり、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)によって開創された天下の霊場である。
 この高野山の麓紀の川沿いの九度山町に「慈尊院」がある。
 慈尊院は、弘法大師が高野山を開くに際し、高野山参詣の要所に当るこの地に、表玄関として伽藍を草創し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所並びに冬期避寒修行の場とされたお寺である。
【女人高野・慈尊院】
境内
【境内】
境内
【境内】
 承和元年(834年)、大師の御母公が我が子を慕ってこの地を訪れ翌年没したため、大師は母公廟を建立し、自作の弥勒仏と御母公の霊を安置された。
 母公は高野山上へ大師を尋ねようとされたが、大師自らが七里(28km)四方を女人禁制としていたため、大師は母公を当院へ迎えた。
 御母公がご本尊弥勒菩薩を崇拝されていたので、入寂の際にご本尊に化身されたという信仰となり、女人の高野参りは当院までということも相俟って、子安,安産,育児,授乳等を願って乳房型絵馬を奉納して祈願し、また、髪の毛を供えて病気平癒を祈った。
 これにより、慈尊院は『女人高野』といわれるようになった。
 大師は、月に九度は必ず高野山より七里の山道を下って母公を尋ねたので、この地を九度山と称するようになった。
女人
 慈尊院の本尊である「弘勒菩薩坐像」は大師以来のもので、平安時代の代表的彫刻として昭和38年7月国宝に指定された。
 また、慈尊院は、有吉佐和子の小説「紀の川」に登場し、一躍有名になった。
弥勒菩薩坐像
【弥勒菩薩坐像】
出典:『九度山』九度山町産業振興課・観光協会
 当地九度山は、戦国の名将真田昌幸・幸村父子が関が原の戦いに敗れた後、14年間隠棲していた町で、慈尊院の近くに父子隠棲の屋敷跡である善名称院(真田庵)があり、5月には牡丹が咲き誇り、5月3日~5日は真田祭りが催される。

 慈尊院 所在:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
 アクセス:南海高野線 九度山駅下車2 km