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私の宝物 (新聞よもやま話)

株式会社 タカダ  長谷 彰啓
 ここに1部の新聞がある。
 すっかり黄ばんでいてボロボロになっているが、1958年(昭和33年)8月13日付けの毎日新聞(東京本社版)朝刊である。紙齢は29552号。地方版は神奈川版。全12ページ。1部7円。前夜投宿していた箱根の旅館で、その日の朝、戴いたものだ。
 当時、小学5年生だった私が初めて上京した日である。東京タワーはまだ工事中だった。 特に大きな事件が載っているというわけでもないが、旅の記念に…と持ち帰った物が、半世紀近く経った今、捨てるに捨てられない私の宝物になっている。
 この新聞をきっかけに私の膨大?なコレクションが始まったのである。
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 まず、大きな事件や出来事があると、その時の新聞(「現物」)を保存し始めた。 その年(58年)11月の皇太子(現天皇)婚約、翌年4月の成婚が最初となった。 家庭用のテレビ受像機が100万台を突破し、一気に全国に普及したのもその頃だ。 余談だが、当時、大阪のテレビ局は2社だけで、NHKが4ch、大阪テレビ(OTV)が6chだった。58年8月に読売テレビ(YTV)、11月に関西テレビ(KTV)、翌59年3月に毎日放送テレビ(MBS)が開局。その直前にNHKは2chに移り、大阪テレビは朝日放送テレビ(ABC)となって、今の形になった。
 60年はチリ津波、安保闘争、浅沼事 があり、以後、今日まで様々な出来事があった。数々の鉄道事故や航空機事故を始め、第2室戸台風、ケネディ暗殺、東京オリンピック、人類初の月面着陸、大阪万国博、日中国交回復、ロッキード事件、グリコ森永事件、昭和から平成へ、阪神大震災、地下鉄サリン事件、附属池田小事件……と枚挙に暇がない。
 見出しが「横1段抜き以上」のものを基準としているが、例外も数多く、新聞社によってニュースの扱い方が違っていたり、稀に1社だけのスクープのときもあった。
 私にとっては歴史年表が保存紙のいわば「索引」代わりになっている。
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 事件の次に集め出したのは正月の新聞である。
 元日の朝刊はページ数も多いが、その年の大きなイベントや夢、あるいは世相等を反映していて面白い。
 今は連日、カラフルな紙面は当たり前だが、その頃の色刷りといえば元日の付録の表紙だけといっても過言ではないくらい、滅多に見られるものではなかった。
 全国紙では「産業経済新聞」(現・産経新聞)は59年から、「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞」は61年から、「日本経済新聞」は62年から保存している。
 また、完全ではないが、ブロック紙の「北海道新聞」「河北新報」「中日新聞」「中国新聞」「西日本新聞」、地元紙の「京都新聞」「神戸新聞」も63年から保存している。
 新聞のページ数は、広告量と相関関係があり、私見だが、ある程度景気のバロメーター的な役割も果たしていると考える。因みに在阪5紙の最近5年間のページ数の合計は99年506ページ、2000年520ページ、01年550ページ、02年534ページ、03年528ページでほぼ横這いとなっている。参考までに過去30年では、70年256ページ、80年268ページ、90年516ページで、直近の10年間はあまり変わっていないことがわかる。
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  次に地方新聞を集め始めた。
 先ほど、旅の記念に…云々の話をしたが、その後も毎年、夏休みを中心に、親に数日間の家族旅行に連れて行ってもらった。その時に持ち帰った新聞が何部か貯まりだした。いずれも大阪では手に入らない新聞ばかり…。物珍しさもあってピッチが上がり、足掛け5年目の67年、中学3年生の秋には50種類を突破。学校の文化祭へ出品、展示した。
 大学へ進んでからは、全国津々浦々とまでは行かないが、生来の旅好きから休暇の度に各地を歩き回った。地域内の国鉄が乗り放題の均一周遊券を利用したり、夜行の船に乗ったり、親戚・友人・知人宅、ユースホステルや商人宿・民宿などの安い宿を探しながら、旅先で毎日可能な限りの新聞を入手し、一通り目を通してから自宅へ郵送した。今はあまり見かけなくなった街角の円筒型ポスト、販売されていない第3種郵便物用の6円切手には随分世話になった。2~4週間程度の長旅も何度か経験したが、帰宅すれば新聞の「山」が待っており、それを何日も掛けて読み直すのが楽しみだった。良い思い出だ。
 約20年後の85年には200種類を越え、今も少しずつだが確実に増え続けている。
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 ところで、この40数年間に創・発刊された新聞は数多い。
 59年5月「毎日新聞(北海道)」「読売新聞(北海道)」「鹿児島毎日新聞」6月「朝日新聞(北海道)」、61年5月「読売新聞(北陸)」、63年2月「サンケイスポーツ(東京)」、64年3月「報知新聞(大阪)」7月「日本経済新聞(西部)」9月「読売新聞(西部)」、69年2月「夕刊フジ(東京)」、70年10月「日本経済新聞(北海道)」、75年3月「中部読売新聞」、10月「日刊ゲンダイ(東京)」、77年7月「日刊福井」、79年2月「報知スポーツ」、81年9月「東北海道新聞」、82年9月「道新スポーツ」、97年1月「 館新聞」…
 一方、休・廃刊で姿を消した新聞も数多い。
 近畿以外では68年7月「長崎時事新聞」10月「新九州」、69年3月「山梨時事新聞」、70年代の「防長新聞」、86年12月「日刊新愛媛」、92年4月「フクニチ」7月「東京タイムズ」、94年3月「栃木新聞」、98年9月「北海タイムス」…
朝夕刊セット紙で、夕刊を廃止して朝刊単独となった新聞は93年4月「愛媛新聞」5月「長崎新聞」、00年3月「福島民報」「福島民友」、02年3月「産経新聞(東京)」…
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 また、改題された新聞としては、「いはらき」が「茨城新聞」、「産業経済新聞」が「産経新聞」「サンケイ」を経て「産経新聞」、「東京中日新聞」が「東京中日スポーツ」、「南信日日新聞」が「長野日報」、「北陸新聞」が「北陸中日新聞」、「岐阜日日新聞」が「岐阜新聞」、「中部読売新聞」が「読売新聞(中部)」、「大和タイムス」が「奈良新聞」、「島根新聞」が「山陰中央新報」、「岡山夕刊新聞」が「オカニチ」を経て「岡山日日新聞」、「鹿児島毎日新聞」が「鹿児島新報」などがある。
 それらの「節目」の新聞を入手するのはなかなか難しいのが現実だ。

 大阪で特筆すべきは、昨年(02年)3月の「大阪新聞」を最後に地元の夕刊紙が姿を消したことである。
 60年代の「大阪新夕刊」を皮切りに、79年10月「新関西」、91年4月「関西新聞」、95年4月「新大阪」が相次いで休・廃刊となり、00年10月から「大阪日日新聞」は朝刊紙にかわった。
 そして今、大阪の夕刊紙は、いずれも東京生まれの「大阪スポーツ」(64年5月発刊)、タブロイド版の「夕刊フジ」(69年9月発刊)「日刊ゲンダイ」(81年11月発刊)の3紙のみとなっている。
 また、近畿の各府県でも68年6月に「兵庫新聞」、72年10月に「和歌山新聞」、79年3月に「滋賀日日新聞」、「夕刊京都」が相次いで休・廃刊されている。
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 メディアの発達、変化とともに、全国的には夕刊は廃止の傾向がある。時代の流れなのかもしれないが、寂しい限りである。 現存するわが国の新聞の歴史についても少しだけ触れておきたい。
 もっとも歴史の古いのは1872年(明治5年)2月創刊の「毎日新聞(東京)」である。続いて「報知新聞(東京)」「山梨日日新聞」が130年以上、「信濃毎日新聞」「秋田魁新報」「読売新聞(東京)」「岩手日報」「山形新聞」「愛媛新聞」「日本経済新聞(東京)」「西日本新聞」「伊勢新聞」「山陽新聞」「朝日新聞(大阪)」「岐阜新聞」「京都新聞」「毎日新聞(大阪)」の各紙が120年以上の歴史を刻んでいる。
 今年(2003年)は明治でいえば136年になるが、100年以上の歴史を持つ新聞は他に「北日本新聞」「下野新聞」「佐賀新聞」「大分合同新聞」「上毛新聞」「東奥日報」「四国新聞」「茨城新聞」「中国新聞」「福島民報」「北国新聞」「琉球新報」「福島民友」「河北新報」「ジャパンタイムス」「神戸新聞」「福井新聞」などがある。
 紙齢(号数)では「毎日新聞(東京)」がトップで、2位の「読売新聞(東京)」とともに4万5千号をすでに越えている。新聞によってカウント方法は多少異なるが、一般的には5千号進むのに13年9ヶ月から14年2ヶ月程度、1万号なら27年5ヶ月から28年4ヶ月程度かかる計算だ。
 「創刊○○周年」「紙齢××号」といった記念号を集めるのも楽しみの一つだ。
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そして今、我が家の僅か4畳ほどの書庫兼倉庫兼物入れ?は新聞で溢れ返っている。
25年程前に建てたボロ家だが、家の中心にその部屋があり、新聞を収容するために建てたと言っても過言ではない。家族からは「使い勝手が悪い」と悪評タラタラである。 収容部数は正確には判らないが、恐らく1万部近くに達していると思う。
 保存には光と湿気を嫌うため、その対策とスペースの問題があり、近い将来、少し整理、処分する必要がありそうだ。
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 新聞には縮刷版やマイクロフィルムで保存する方法があるのは百も承知だ。
 他人から見れば唯の新聞、いや、ゴミかもしれないが、私にとっては、40数年かけて集めた、お金では買えない、かけがえのない「現物」こそ、まさに『宝物』なのである。