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きっかけは「勉強しろ!」

(社)日本補償コンサルタント協会 近畿支部
 総務副委員長 坂口 收市

 私が補償という言葉を聞いたのが昭和50年頃、我社は不動産鑑定業を専業としていたころ、前社長(故人)から「今後、補償という業務は必ず発展するから勉強しろ!」と言われ本を数冊渡された。
 その本は「例解用地と補償」・「建築基準法」・・・・内容を読んでもチンプンカンプン?建築の出身でないため建築の専門用語がさっぱりわからない。
 しばらくして一級建築士の方が入社し二人で勉強を始めました。T定規と三角定規でまず図面の書き方を教わり、建物各部の名称、部材の名称等を覚え土曜日・日曜日に専門学校に通い、補償の基準については奈良県土木部監理課の専門員の方に補償方法、積算方法を教わり何とか形が出来ました。

 その頃の木造建物の算定方法は評点方式で、補償額=1m2当たりの堆定再建設貴×延面×現価率又は移築補償率という方式であった。
 木工事の係数は階数・屋根葺材・柱径・軒高で係数が決まり、屋根工事は屋根葺材・屋根勾配・軒出で係数が決定し、内外壁面積も建物の用途によって倍率で計算でき、現在の算定方法と比較すれば簡略された方式であったのですが、当時相当苦労したのを覚えています。
 当然数年間は、採算度返しで、会社のお荷物的な部門でした。

 昭和50年代後半からやっと補償部門も軌道に乗り、人員も増え数々の案件を処理していく内に、自分自身に自信ができ又、補償業務の重要性を認識し起案者の努力を見て少しでも事業の推進に役立てるようにと毎日のように打ち合わせに出かけました。
 手探りの状態からほぼ一貫して案件処理ができる状態まで、相当の年月がかかりましたが、今思えばその時期が最高に充実していた頃であったと思います。

 21世紀になり、バブル崩壊の影響をまだ残し税収不足・不良債権問題・公共事業の抑制等、この業界の前途も多難でありますが、今一度元気を取り戻し創意工夫して頑張っていきたいと思います。