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~国際交流の回想録~(奈良シルクロード博を想ふ)

(社)日本補償コンサルタント協会理事
 近畿支部副支部長・総務委員長 武田 政雄

 随筆とは広辞苑によると『思いつくまま。おりにふれて感じたこと。また、それを書きとどめた文章』と表示されている。

 小生は、何かの御縁を頂き、1987年(昭62)から現在に至るまで足掛け15年に渡り、奈良県の国際ボランティア組織の一つとして、"奈良シェイクハンドの会"の代表(会長)を努めさせて頂いております。その長きの国際ボランティア活動において、最も印象に残っている活動が1988年4月24日~10月23日迄、奈良県で開催された開国以来の最大のイベント『奈良シルクロード博』への参加でありました。

 当協会におきましては、国土交通省(旧建設省)の指導、及び協会会員の皆様方の御理解と本部関係者の御努力等により、IRWA(国際用地協会)への入会が正式に認められ、今年6月に調印式が行われる予定であり、かつKAPA<(社)韓国鑑定評価協会>との交流等、増々の国際協調、国際協力が推進され、まさに国内のニーズのみならず国際的ニーズに対応しなければならない時代に当協会も突入した感があります。

 そこで、国際交流と云う大義に託けて、古き良き時代(14年前)に、皆様の体内時計と秒針を合わせて頂き、"小生"の回想録をお読み下さい・・・ネ!!・・・


 小生は、奈良が好きである!!

 その理由(わけは、奈良は"ロマンの都"と心の内で決めているからです。
 "奈良の都"は人間の感性を充分に満たしてくれるだけのものが各地に点在しています。

 それは、古代の歴史そのものであり、現代においてもその歴史は脈々と生き続けています。奈良は、ケバケバしい視覚的威圧感をかもし出すものは、何もない。ないからこそ己の内に"想像的歴史"を展開できる空間が存分に残されている。例えば、「これが金閣寺です」と案内されれば、そこには視覚的に認識できる建物(ものがあります。

 しかし、「ここが平城京です」と案内されても広大な原野が広々と続き、視界に迫るものは何もない。何もないからこそ、想像的歴史が展開できロマンそのものが花開くのです。だから奈良は"ロマンの都""人間の想像的感性の出発点"であると小生は決めているのです。

 この奈良の都において、1988年4月24日~10月23日迄、183日間の長期に亘り"なら・シルクロード博"が奈良県・奈良市・NHKの主催で開催され、シルクロード沿道諸国の文化や歴史、貴重な文物が一堂に紹介されたことは、まさにロマンの都奈良(・・・・・・・に最もふさわしい出来事のひとつであろう!!と考えています。

 このような小生は、憧れの奈良の都に住まいして10余年、奈良はロマンの都と常々賛美していたので、"なら・シルクロ-ド博"が開催されると知り、これまさに水を得た魚の如く奈良県民として何かしたい、何らかの形で参画したいとの思いで、有志と共に『なら・シルクロード博を成功させる県民の会』を結成しました。そしてシルクロード沿道諸国の人々の絵画を民間外交のレベルで収集し、イタリア・インド・スリランカ・ネパール・インドネシア・タイ・中国・韓国等の人々のご協力とご理解により、約500余点の絵画が集まり、7月19日~25日の間、春日野会場のふれあい回廊に展示し、その目標は達成されました。

 今回の絵画の収集にあたっては、有志による草の根運動を展開して、シルクロード沿道諸国に滞在したり、出張したことのある人を知人から知人へと紹介してもらい、北海道から沖縄及び海外へと電話・電話の日々も多く、この時はじめて我家では国際電話の扱い方を具体的に学ぶことが出来、その請求書を見た時の驚きは今も尚、鮮明に残っています。

 又、留学生を頼っていくつかの大学の教授にもお会いしましたが、先生が一言「国費留学生は勉学に忙しく自分のことで精一杯で」・・・(なるほどなるほどの独言)そのあと先生の言葉は続く、「他人の事とか社会の事などに全く関心はなく協力は得られないでしよう。彼等は、国に帰れば国の重要なポストに坐る人ですから」・・・(なるほどなるほど国を動かす重要な人物になる人は、すでにこの時から他人のこと、社会のことなどには関心はないのだから重要なポストに坐れば、白紙の状態で良い政治・政策が出来るだろう?)と絶句してあきらめました。

 1987年12月~翌年1月にかけて中国の北京・西安へ有志を派遣して、民間外交レベルでの絵画の収集に約50日間を費したが、「ピアノ5台、エレクトーン10台、日本へ招待等々の条件を満たしてくれるなら、絵画を100枚程度貸し出しする」というまさにその要求の過大さには、金満日本への批判がありありと感じられました。

 最も力を入れたいと思っていた中国での絵画の収集は、大量一括収集は必然的に個人対個人となり、派遣員の努力に任す形となり美術学校の学生に個人的に交渉したり、公園等で知り合った人に協力をお願したりして、相当な労力と苦労を重ね、道端で売っている絵やホテルで売っている絵を、日本円にして2万~5万で買い求めたりもしたが、収集できた絵は、枚数的には少ないものでありました。

 再び1月~3月にかけて中国の西安からネパール・インド・アフガニスタン・イラン・イラク・トルコ・ギリシャへ有志を派遣して絵の収集に努めたが、国際情勢の悪化・内政不安等もあり、思うように収集できず、個人の力の限界と草の根運動の限界を感じつつも、奈良国際理解協会・奈良シェイクハンドの会・天理大学・奈良女子大学・奈良教育大学の留学生及び奈良市内のボランティアの人々と協力を深め、より多くの人々のご理解とご協力により500点に余る絵画の収集が可能となり、まさに"草の根的民間外交"の花は果実したものであり、"多くの人々が協力することによって何かが出来る"ことを身にもって具体的に学ぶことが出来ました。

 収集された絵画は、
 ・ 4月 7日~ 4月22日  南都銀行展示ウィンドー
 ・ 4月19日~ 4月23日  奈良市中央公民館
 ・ 4月24日~10月23日  県立奈良病院1階ロビー
 ・ 7月19日~ 7月25日  なら・シルクロード博春日野会場 -ふれあい回廊-
 ・ 8月11日~17日  奈良市中央公民館
 ・ 9月20日~21日  生駒市立大瀬中学枚文化祭
以上に展示の場を提供して頂き、多くの人々に見て頂く事ができました。

 絵画の展示については、パネルの運搬・組立、短時間で500余点の絵画を貼ることの肉体的ハードさはあったものの、(精神的には、見て頂けるうれしさで一杯である。)背広がパネルとか、箱・紙ですれて、ポロポロになった事もありました。展示の準備から、展示期間中、展示物の取り外しに至るまで、これまた奈良シェイクハンドの会・奈良市内のボランティアの方々にご協力を頂き、まさに人の輪による成功でした。

 又、国内的には、小生の故郷である山川町(徳島県)の少年野球チーム(山瀬ファイターズ)と奈良の少年野球チームとの『シルク博少年野球親善大会』を催し、"なら・シルク博"への招待もなし、ロマンの都奈良の大イベントに参加して頂きました。又、県内の老人ホーム・幼稚園・保育園へも入場券の配布をなし、この大イベントに参加して碩きました。

 この様にして、"なら・シルクロード博"に参加できた事は、同時に多くの外国の方々とも知り合う機会となりましたが、シルク博が終了したから全てが終わるものでなく、この"なら・シルクロード博"を契機として、民間外交レベルでの国際交流をより深めてゆきたいと思い、奈良シェイクハンドの会主催で昨年は5回留学生との食事交流を開いたり、留学生と奈良市にある窯元(赤膚焼)を見学したり、留学生の希望により、老人ホームで国際親善交流を開催したり、バスで神社仏閣を見学したり多彩な活動を展開しています。

 これも"なら・シルクロード博"が縁結びとなった成果であろうと実感しています。

 "なら・シルクロード博"は大成功のうちに閉会しましたが、この博覧会を契機として奈良県では"なら・シルクロード博記念国際交流財団"が設立された事によって、国際的文化学術の交流が、本格的に始まり、絵に書いたボタモチでもなく、絵に描いたトラでもなく、鳩が飛び立つ都(国際平和都市奈良)、鳩が飛び交う交流(国際的平和)が具体的に計られるものと期待してやみません。

 最後になりましたが「シルクロード沿道諸国の人々による絵画展」ふれあい回廊等で、展示させて頂けましたことに感謝し、私達の絵画の収集に御尽力下さいました数多くの方々に深くお札を申し上げますと共に、「なら・シルクロード博覧会」の職員の皆様の温情あるご努力とご苦労に、"本当に本当にご苦労さまでした"という言葉をおくります。

 「21世紀への未来ある贈り物」本当に有難うございました。

シルクロード博を成功させる県民の会代表
現 奈良シェイクハンドの会会長
~By 回想列車"未来号"乗車時(2002年5月)に記す~