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湖北の「おこない」について

大内 美喜子
 (福田総合コンサルタント(株))

 滋賀県東浅井郡湖北町は琵琶湖の北に位置し、この湖北地方に春が訪れてくると、1月から3月にかけてあちこちの村で「おこない」という行事が行われます。

 これは湖北の最も厳粛な神事であるとともに、雪深い地方の初春の憩いでもあり、かつては1年の生活の中で最も重要な行事であったともいえます。
 「おこない」という言葉は、湖北地方では「神事」と書いておこないと訓ませていることが多いが、「おこない」は「行ない」と宛てるのが穏当であり、今日では「修正のおこない」の意味といわれています。
 修正というのは修正会(しゅしょうえ)・修二会(しゅにえ)といって、旧仏教寺院で行われる正月行事のことで、よく知られている東大寺のお水取りがあげられ、庶民参加のもとに行われる修二会の代表的な例といえます。おこなうとは精進潔斎すること、祈祷することを意味します。
 しかし、修正会・修二会は純粋に仏教的な行事ではなく、古代のわが国の庶民の行事が仏教の行事に融合したものと思われ、湖北地方の「おこない」も神社とは限らず仏堂で行なわれる事もあります。
 「おこない」は村落共同体の年頭行事であり、「おこない」の番に当たった家(おこない番・頭屋などといわれる)を中心に、大きな鏡餅を搗き、村によっては、”まいだま”という大きな餅花を作る習わしです。
 鏡餅は先祖の霊魂を象徴し、鏡餅によって霊魂にふれかつ鎮める意図が含まれ、最後に鏡割りといって鏡餅を切ったものを村人に配り、それを食べる事によって1年の幸福を願うのです。
 まいだまというのは、大きな木の枝に小餅をたくさんつけて稲穂をかたどったもので、豊作を祈願するまじないと考えられていますが欠くことの出来ない重要なものです。

 このように「おこない」は年頭にあたって、先祖の霊魂を祀るとともに五穀の豊作を祈願する正月の行事となっています。
 「おこない」は湖北地方にだけ行われているわけではなく、滋賀県内でも湖東や湖南地方にもあり、京都府・大阪府・奈良県・和歌山県など近畿地方つまり旧五畿内といわれる旧都の周辺に分布しています。名称は違っていても同じような内容の行事をみると、相当広い範囲で分布していると思われます。
 その中でも最も周密な分布がみられるのは湖北地方であり、「おこない」は湖北地方が中心であるように言われる由縁でもあります。
 湖北地方の「おこない」については、「京都や比叡山の鬼門除け」とか「彦根藩の鬼門除け」のためと言い伝える村もありますが、はっきりと解明はされていません。しかし、奥深い山々と湖にかこまれ、多雨湿潤で雪も多いという湖北地方の風土と、現在でも湖北の神社数は村落の数をはるかに上回り(一村落に2つ以上の神社が存在することからもわかる)、「おこない」のみならず、春秋の祭りをはじめ多くの年中行事が行なわれるなど、このような神への信仰の重厚さが「おこない」を今日に伝えるのに影響していると考えられます。
 最近では生活様式の激しい変化や生活改善などの為に、伝統的な「おこない」も次第に簡略化される傾向にありますが、多くの集落では農村が次第に都市化し、農村のよさが失われつつある今日でも、伝統的行事を励行しているのも事実であります。


 延勝寺区のおこない

 「おこない」の行事といっても集落によって多少異なりますが、湖北町の琵琶湖岸に位置する百世帯たらずの延勝寺集落を1つの例として紹介させて頂きます。

 ・祭神  飯開神社  宇賀魂神
 ・祭期  (本日)2月12日

 「おこない」は東・中・西の3組に別れ、各組には行事の中心となるおこない番が1名ずついる。おこない番は玉くじによって選ばれ、選ばれた家は床柱にはる御神の御札を当番の印として家に祀り、1年間は肉食類は卵類に至るまで食べない事、火の障りのあるところには近寄れない事としている。また、大晦日の晩は社務所に徹夜し、水ごりをとる。若衆は、元日の朝に裸で池に飛び込み、神事の朝に裸で宮参りをする。
 おこないに関する記録や文書などはなく言葉によって伝えられ、昔は神事の行事が4、5日も続いたが、明治28年・29年の豪雨によって沿湖浸水の災害にあい、生活の簡素化が決まり、一応神事も2月12日の1日限りとなった。
 行事の財源は会費で賄なわれ、11日から各組の当番の家で若衆が寄り合って、注連飾りお鏡餅を作る。そのお鏡も2斗5升の糯を各組で作る。30Kgもあるという注連はお宮様の使いと言われる白蛇の形や大鯛にも似ている立派な飾りである。
 夜を徹して作り上げ、12日の早朝には若衆が小学校の男の子を交えてまい玉を笹につけ飾り、当番の家から掛け声と共にお詣りする。行事には宮司がたずさわり、お宮様の拝殿にお供えする。その後はお祝いのすそ分けとして各組の家に切って配られる。

 それが終わると玉くじの行事に移る。それは「御神」と記したのと「後」とを紙包みにしてお盆の内に納めて洗米を大盛りにして床の間に飾り、組の人達が集まれば新しい当番の候補者がお盆をゆり動かして初めに出た紙包みを順々に拾い一斉に開封するというもの。
 新しい当番が分かると各組毎に大太鼓、小太鼓、笛、法螺等を吹き賑やかに、お宮様へお餅やお神酒を提げて、当番を先頭に新当番、続いて組内の大勢が囃し立ててお詣りする。
 午後には祈年の式典が催され、各組毎に直会に移り、夕暮れにはお宮様へ詣り、午前中にお供えした飾り物をお下げして、当番の引き継ぎの盃を交わして行事は終わるのである。その後、翌13日は若衆の気揚げ、14日は注連等の左義長、15日は粥の行事によりその年の豊凶を占う習しになっている。もちろん、11日から20日まで無事を感謝する為、毎夕当番は日参して、その20日に新当番へ引き継ぐことになる。
 延勝寺における「おこない」の神事行事は現在でも昔ながらの作法を忠実に守り実行されていると言える。

 現代の生活が、物質・精神の両面にわたって画一化され、お互いの暖かい心のふれあいや、すなおに感動する気持ちが薄れていく社会の中にあって、祖先が世代から世代へと築き上げてきた地方の文化を、ぜひとも継承していってもらいたいものです。


写真・・・日枝神社の花餅・・・(柳に小餅を吊したのが拝殿前に奉納されている。オコナイの儀式は五穀豊穣を願いその象徴として、沢山の餅を神社に奉納するのが共通している。)